「与えられたすべての恵みを喜ぶ」 申命記26章1-11節
津村 春英 牧師
「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」(詩編103篇2節)のように、私たちの存在は神の御旨によって成り立っています。また、白川静『常用字解』によると、「感謝」の「感」は神の心が動くことであり、「感謝」はありがたいと感じて礼をのべることで、神と関係しています。
古代イスラエルの民が40年にわたる苦難の荒れ野の彷徨を終えて約束の地に入リ、そこに住むときには、神の前で次のように告白するようモーセを通して神に命じられました。「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。…主は…大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、…乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい」(申命記26:5-11)と。部族としての土地を持たずに他の部族の中に分かれて住むレビ人や寄留者と共に、賜物を喜び祝うことを命じられたのです。私たちも神から与えられたすべての恵みに心から神に感謝し、また共に喜びたいものです。