2025年7月13日の礼拝宣教から

「モーセと預言者たちがいる」 ルカ福音書16章19-31節

牧師 津村春英

 ルカ16:19-31は、前段落に続くたとえ話で、聞き手は、金に執着するファリサイ派の人々です(14)。ある金持ちとその門前にいる貧乏人ラザロとが登場します。たとえ話に人名が出てくるのは特別ですが、ラザロ(旧約のエルアザルに相当するなら、「神は助け」の意)の地上の人生は恵まれませんでした。死後、この金持ちとラザロの状況は逆転します。陰府(よみ・死者が集められる場所)で苦しみもだえる金持ちは、自分の家族には同じ目に合わないように、はるかかなたのアブラハムの傍らに座するラザロを遣わしてほしいとアブラハムに願いますが、「モーセと預言者(律法の書と預言書:みことば)に耳を傾ける」(31)ようにとの返答があったのです。

 ファリサイ派の人々は、誰よりも律法の書と預言書を重んじていたはずですが、その聞き方に問題があったようです。それを福音(人を幸福にする)として聞き取っていなかったのではないでしょうか。だから、当時のラザロのような人や、徴税人や罪人(15:1)を見下し、顧みることがなかったことが非難されたのでしょう。キリスト者も苦境の時に奇跡を求めるよりもまず、みことばに聞く必要があります(ヤコブ1:21)。