「あなたがたの信仰はどこに」 ルカ福音書8章22-25節
津村春英牧師
レンブラントの「ガリラヤの海の嵐」という絵画があります。嵐に遭遇した主イエスと12弟子たちを描いています。必死に奮闘する弟子たち、主に助けを求める弟子たちなど、その中でたった一人、こちらを向いている人物がレンブラント自身と言われます。鑑賞者に何を語りかけようとしているのでしょうか。
共観福音書にあるこの話の本筋は、弟子たちのことば、嵐も波も従う「この方はどなたなのだろう」(ルカでは8:25b)ですが、その直前のことばは、福音書間で違いがあります。ルカには、並行記事のマルコ、マタイにある「なぜ怖がるのか」という主の叱責のような言葉はありません。また、「まだ、信じないのか」(マルコ)や「信仰の薄い者たちよ」(マタイ)に対して、ルカでは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」(8:25a)となっています。「あなたがたの信仰はここにないのか」ということです。「ここ」とは、荒波にもまれる舟の中です。弟子たちは、「おぼれそうそうです」(直訳:滅びます)という絶体絶命の中にありますが、彼らは、主イエスも同舟されておられることに気づかねばならなかったのです。このシーンは容易に人生の嵐を連想させます。私たちが厳しい試練に陥るとき時、必ずそこに主イエスがいてくださることに気づかねばなりません。今朝、あなたにはどのような新しい発見がありましたか。