「心の安らぎはどこから」 ヨハネの手紙一3章19~24節
津村春英牧師
人は、いつの時代も不安にさいなまれてきました。それは古代から現代まで変わらない事実です。予測できない未来の災いに対して、少しでも安心できるよう、「お守り」などを身に着けます。キリスト者はどうでしょうか。
今日の聖書のみことばを見てみましょう。「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」(3:18-20)とあります。「神の御前」とは最後の審判のイメージです。後半部分を原 文から直訳すると、たとえ私たちの心が自分を責めたとしても、神(のお心)は私たちの心よりも大きく、神はすべてをご存じだから、私たちは自分の心を説得する(安んじる)のです、となります。
過去を振り返って、私たちはいったい誰にゆるしを請いますか…。主イエス・キリストの十字架によって罪は赦されているのです。新聖歌465の4番、「その日を望みて 互いに励まし 十字架を喜び 負いて進まん 嘆きも悩みも しばしの忍びぞ 楽しきたたえの 歌と変らん」のように、安心して、揺るがぬ信仰をもって進みましょう。