「御子を告白する」 ヨハネの手紙一2章18~23節
津村春英牧師
先日、同郷で、和歌山高専の2年後輩の者が、私の近況を知って、懐かしく思い、遠くから長い電話をくれました。彼は、1年前の奈良西大寺の銃撃事件で取りざたされた宗教団体で50年間も活躍しているということでした。久しぶりに電話をくれた彼に、「あなたの信仰は異端だ」とは言えませんでした。彼は私に、「伝道に命を懸けている」と言いました。私たちはどうでしょうか。
「御子を否定する者は皆、御父を持たず、御子を告白する者は、御父を持っているのです。」(2:23聖書協会共同訳)とありますが、「否定する者」とは、御子イエス・キリストがこの世に人として来られた、つまり「受肉」されたということを認めず、否定する者です。これが著者の教会における異端思想でした。他方、「告白する者」とは御子の「受肉」を信じ受け入れ、公言する者です。そして、「告白する者」は「御父を持っている」、つまりヘブライ語的に解釈すると、「御父の内にいる」ということです。御父から遣わされた御子イエス・キリストは、神であられたのにこの地上に肉体をもって住まわれました。罪以外は私たちと変わらない生活をされ、同じような苦しみを経験され、そして、十字架を耐え忍んで私たちの罪を赦してくださいました。心から感謝します。私たちは、しっかりとこの信仰を告白し続けることができるよう心したいものです。そして、御父である神様の内におられるようにしてくださいと祈りましょう。