2023年1月8日の礼拝宣教から 

「恐れることはない」 マタイによる福音書10章26-31節

津村春英牧師

京都で初詣の長蛇の列に出くわしました。人がご利益を求めるのは、何が起こるかわからない不安が暗黙裡にあるからです。

マタイ福音書の背景には、迫害による苦難が想像され、そこから主イエスの時代を見ていると考えられます(5:10-12; 10:17-22; 3:34-36)。「人々を恐れてはならない。…わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」(10:26-27)とあり、弟子たちは恐れないで福音を語ることが求められています。その保障は、「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」(同29, 30)とのことばにあります。

旧約聖書のモーセは後継者ヨシュアに、「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)と告げました。また、主はパウロを幻の中で、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(使徒言行録18:10)と励ましました。私たちキリスト者が語らずして、一体だれが福音を伝えるのでしょうか。