2022年2月20日の礼拝宣教から

「主こそわが光」  ミカ書7:8-10節

津村春英 牧師

今回の冬季オリンピックで、競技者の実力もさることながら、コーチとの関係が重要だということを考えさせられました。コーチcoachとは1500年代の馬車であり、「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」という意味だそうです。聖書に登場する真の預言者は、神から遣わされた人物ですが、古代イスラエルの民の、そして私たち信仰者の人生のコーチ的存在です。

ミカは紀元前8世紀に、エルサレムから遠く離れたペリシテに近い田舎町ガト)で活動した預言者でした。彼が見た幻に、「わたしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない/ついに、主がわたしの訴えを取り上げ/わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る。」(7:9)とあります。「わたし」、つまりイスラエルの民は、罪(神から離れ、闇と称される社会的退廃)ゆえに、主の怒りを身に受けなければなりませんでしたが、「たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光」(同8)とあります。この光は人の心の内を照らし、罪を明らかにし、悔い改めが求められますが、それとともに救いの道をも照らし、そこに導いてくださるのです。コロナ禍をはじめ、私たちの苦境のときも「主こそ光」であることを忘れてはなりません。