2022年1月2日の礼拝宣教から  

「絶えず祈りなさい」  テサロニケ信徒への手紙一5章16-18節

津村春英 牧師

年の初め、多くの日本人は社寺へ初詣に出かけ、一年分の家内安全、学業成就、商売繁盛などを祈願します。キリスト者は毎週、いや毎日祈ります。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ一5:16-18)とパウロは書いています。「いつも」は時を表し、「絶えず」は中断しないことを意味し、不断の祈りが求められています。そして、困難な時こそ祈らなければなりません。

19世紀、米国南軍の従軍牧師で北軍に捕虜になった後に釈放され、再び戦場となった町に戻り、戦争で傷ついた人々の癒しのために尽力したE.M.バウンズは、「試練と祈りは密接に関わり合っています。祈りは試練にとって重要な意味を持ちます。試練は多くの場合、神に祈るよう人々を促します。祈りはしばしば人を試練から解放します。さらに祈りは、試練に耐える力を与え、試練の中で慰め、試練の最中で忍耐を造り出します。自分の力の真の源である方を知り、試練の時にもたゆまずに祈る人は幸いです。」(『祈りの力』)と言っています。今年は、わたしたちにとって、どういう一年になるのでしょうか。絶えず祈りましょう。祈りつつ進みましょう。