『見よ、この人だ』 ヨハネ福音書18章38b-19章7節
牧師 津村春英
来る11月のアメリカ大統領選に向け、政権を奪還したい民主党は副大統領候補にアフリカ系アメリカ人女性を指名しました。「副大統領はこの人です」ということです。
ヨハネ福音書によると、ピラトはイエスのことを、「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」と繰り返しますが(18:38; 19:4, 6)、そこにいたユダヤ人たちはイエスを侮辱して、王らしく冠(いばらで編んだ)をかぶせ、紫の衣を羽織らせて嘲弄しました。しかも、過越の祭りの慣例の恩赦としてイエスが選ばれることにも反対しました。ピラトは、「見よ、この人だ」(19:5聖書協会共同訳)と言いました。ピラトにとっては捨て台詞のようであったかもしれませんし、祭司長たちや下役たちはイエスを見ると、「十字架につけろ」と叫んだとあります(19:6)。ところで、ヨハネによる福音書では「見る」ことは「信じること」につながります(4:29; 20:29など)。サン=テグジュペリは、「『「心で見なくちゃ、ものごとは良く見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ』『かんじんなことは、目には見えない』と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。」と書いています(『星の王子さま』内藤濯訳、岩波書店)。わたしたちは、毎日の生活の中で、どのように主イエスを見ているのでしょうか。