2019年12月15日の礼拝宣教から

『レプトン銅貨二枚の信仰』 ルカによる福音書20章45-21章4節

牧師 津村春英

エルサレム神殿の「婦人の庭」にある献金箱に、お金持ちたちとある貧しいやもめが、献金している様子を主イエスはご覧になり、弟子たちに言われました。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。 あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」(ルカ20:3,4)。ただし、彼女が献げたのはわずか少額銅貨二枚でありました。しかし、主に絶賛されたのです。少額であっても、神への信頼なくして、生活費のすべてを献げることはできません。

 イエスの母マリアは歌います。「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。」(1:47, 48)。マリアと先のやもめは、全く別の人物です。しかし、神が目を留められた、主イエスが目を留められたという点においては同じです。そして、すべてを献げたということにおいても同じです。このやもめの「レプトン銅貨二枚の信仰」は、マリアの信仰でもあります。それでは、私たちはどうでしょうか。心を開いて、神様のメッセージを受け入れ、神に全幅の信頼を置いて歩みましょう。神は私たちに目を留めてくださっています。