2025年1月19日の礼拝宣教から     

「善いサマリア人」 ルカ福音書10章25-37節

津村春英牧師

 ある律法の専門家がイエスに、永遠の命を得る方法を尋ねたところ、神を愛し、またあなたの隣人を愛せよと告げられました。彼は、では隣人とは誰かと問い返すと、イエスは、かの有名な「善いサマリア人」の譬え話をされました。サマリア人とは、紀元前722年に北イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、民族的純潔を守れなかった人々で、それゆえに南ユダ王国の人々から軽蔑され嫌われました。それは主イエスの時代にも及んでいました。

 エルサレムの神殿に仕える祭司、レビ人がそれぞれ家路につく途上で、盗賊に襲われて服をはぎ取られ半殺しにされたユダヤ人に遭遇しますが、見て見ぬふりをして通り過ぎました(死人に触れるのは祭儀的に汚れるゆえか?)。他方、旅をしていたサマリア人は傷(ギリシア語・トラウマ)を負った人を、あわれに思って(内臓の派生語)、助けます(思いやりを示すという意味の語)。イエスは傷ついた人の隣人になったのは、ユダヤ人が嫌悪するサマリア人だと、律法の専門家に気づかせ、「行ってあなたも同じようにしなさい」(10:37)とお命じになりました。

 パウロの「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ12:15)という言葉が響きます。み言葉を行うことができるように努めましょう。ただし、時には、自分自身が傷ついた旅人になり得ます。その場合は、善いサマリア人であるイエス(19世紀までの主な解釈)が思いやりを示してくださることでしょう。