2024年2月11日の礼拝宣教から

「悔い改めにふさわしい実」 ルカによる福音書3章7-14節

津村春英牧師

 バプテスマのヨハネは、洗礼を受けに出てきた群衆に対し、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか」と迫りました(3:7)。蝮(まむし)とは毒をもつ蛇のことで、創世記3章に登場する蛇とは単語(原典ヘブライ語からのギリシア語訳)こそ違いますが、サタンに従う者たちという意味で、その毒は人を死に至らせます。そんな生き方をしていたら駄目だ!とヨハネは叫んだのです。ではどうすればよいのでしょうか。先ずは、今までの歩みを「悔い改める」こと、そして、「悔い改めにふさわしい実を結ぶこと」、これが答えでした。ただし、それは普段の生活の中でできることで、自分の持っているものの分かち合いであり、徴税人は、命じられたもの以上を取り立てないことであり、兵士(恐らく、ガリラヤとベレアの領主ヘロデ・アンティパスに仕えた者たち)は、恐喝などをせずに、自分の給料の額で満足することでありました。

 このように、悔い改めにふさわしい実を結ぶということは、特別なことではなく、自分の置かれた場所で、正直に真心から主に仕えることなのです。徴税人には徴税人なりの、兵士には兵士なりの仕え方がありました。では、あなたはどうですか、どう行動しますか、あなたにできることは何でしょうか、と問われています。悔い改めにふさわしい実を結びましょう。