「主は人の心を知っておられる」ヨハネ福音書2章23-25節
津村春英牧師
律法に忠実に生きようとするファリサイ派でユダヤ議会の議員という地位にあるニコデモという人が、夜(人目を避けてか)、主イエスに会いに来ました。主は彼に、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(3:3)と言われました。下線部は、もう一度、上から(主の霊によって)という意味もあり、信じること(2:23)だけでなく、「霊から生まれる」(3:8)ことの重要性を説かれたのです。確かにヨハネ福音書では、主が復活後に弟子たちに対して、「聖霊を受けなさい」(20:22)と強調されています。キリスト者は洗礼を受けた時に聖霊にあずかりますが(ヘブライ6:4)、聖霊に満たされる必要があります。
先週発生したトルコ・シリア大地震で、耐震性能の低い建物が次々と倒壊し、多くの犠牲者が出ています。人生にも、ある程度予測できることと、全く予測できないことがあります。その危機に対して私たちは大丈夫でしょうか。なぜ、こんなことになるのか、なったのかと嘆くのでなく、主の霊、聖霊に満たされることにより、物事の本質がよく見え、平安が与えられるのです。主は私たちの心を知ってくださっているのですから(2:24, 25、ニコデモ、サマリアの女性、ベトザタの池の病人など)。れが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(8:35)と問いかけます。現代的に言うなら、「病気か、老いか」も追加されることでしょう。なお、下線部の原語は「狭い」を意味し、精神的な行き詰まりが想像できます。これは架空の話などではなく、パウロの実体験でもあります(コリント二11:23-27)。「しかし、これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります…高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」(8:37-39・聖書協会共同訳)と断言しています。
たとい自分がボロボロの状態にあると思っても、十字架と復活と執成しをもって愛してくださる主イエス・キリストによって、私たちは勝利者なのです。どんなものも、神の愛から私たちを引き離すことなどできないのです!
「勝利者はいつでも 傷つき悩みながら それでも前に向かう」(♪小坂忠「勝利者」)