2022年5月1日の礼拝宣教から

「立ち帰って、生きよ」 エゼキエル書18章30-32節

津村春英 牧師

知床の観光船遭難事故の懸命な捜索と原因究明が続けられていますが、天災以前の人災が問われています。事故は、死は、避けられなかったのでしょうか。再発防止のためには、古いやり方を一新する必要があると思われます。

 エゼキエルは、前5世紀末に捕囚の地で立てられた預言者と考えられますが、当時のイスラエルの民は、神の御心に背き、偶像礼拝に興じて宗教的に退廃し、倫理的にも乱れ、犯罪という悪に走っていました。エゼキエルは、その罪に対する神の裁きと避難の道を伝えました。「『それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、…悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。…お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。…お前たちは立ち帰って、生きよ』と主なる神は言われる。」(18:30-32)と。「生きる」ことがポイントです。そのためには、罪を悔い改め(神へのあらゆる背きを投げ捨て、神に立ち帰り)、新しくされなければなりません。それは、「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。」(聖書協会共同訳・コリント二5:17)に通じます。日々、悔い改め、キリストにあって新しくされて、生き甲斐のある人生を歩みましょう。