2022年4月24日の礼拝宣教から

「最善の道」 出エジプト記13章17-22節

津村春英 牧師

毎日伝えられるウクライナ情勢。今こうしている間にも命が失われていっているやもし
れません。祈らねばなりません。それに比べ私たちには、つらいことがあってもミサイル
は飛んできません。こうして礼拝できることを感謝しなければなりません。
 古代イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放せられましたが、「ファラオが民を
去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦
わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからで
ある。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。」(13:17、18a)とありま
す。民の心境については、後続の民数記13:17-14:4などに見られるように、神は見抜い
ておられたのでしょう。恩師、服部嘉明師は「全知全能の主権者である神は、必要な場合
には、私たち人間の常識では考えられない方向、方法で私たちを導かれる。神が導かれる
その道はどんなに困難であっても、究極的には最善なのである。」(『出エジプト記に聞
く』p.110からの要約的引用)と書いておられます。
 私たちの歩みはどうでしょうか。遠回りと思える時もあるでしょうが、神がなされる最
善(ローマ8:28)を信じて進みましょう。