『霊に導かれて』 使徒言行録8章26-40節
牧師 津村春英
今日はペンテコステ(五旬祭、七週の祭)の記念礼拝を献げています。聖霊降臨後の弟子団の中で、役員、伝道者として立てられたフィリポ(使徒6:5; 21:8)は、当時のエルサレム当局者による教会の迫害により、散らされてサマリヤに向かい、そこで目覚ましい働きをします(同8:5-13)。次にエルサレムからガザに向かう道に行くように導かれ、「すると、“霊”がフィリポに、『追いかけて、あの馬車と一緒に行け』と言った。」(同29、ダブルクオーテーションは聖霊の意)とあるように、エルサレムからの帰途にあったエチオピア女王カンダケ(ファラオのような呼称)の宦官を救いに導きました。
さて、当教会の初代牧師・河邊貞吉師は、「聖霊を一度受けた者でも、満たされていないならば駄目である。……この尊い大使命を全うするためには、聖霊なくしては絶対に不可能である。…私共は過去の事を思えば失望せざるを得ないが、今日息を吹きかけられて聖霊を受けるならば、希望と信仰はそこに湧いて、必ず神の栄光をあらわす事が出来る。」(河邊貞吉『河邉貞吉説教集1』p.328, 329)と言われたそうです。キリスト者は生活の中で聖霊の導きを求めなければなりません。聖霊の導きによって行動し、救われた宦官のように、喜びにあふれて人生の旅を続けたいものです(同39)。