「キリストを信じるとは」 フィリピ信徒への手紙3章1-11節
津村春英牧師
新刊の『キリスト教ナショナリズム 不穏なアメリカの変貌』(森本あんり、 渡辺靖、朝日新書、2026)では、現代のアメリカの国家主義は、アメリカ福音派のProsperity Gospel(繁栄の福音)が、個人から国家のレベルに移ったようなもので、信仰なきキリスト教ナショナリズムだと揶揄しています。
キリスト者が、「キリストを信じて救われている」と言うとき、キリストの何を信じて救われているのでしょうか…。フィリピ書3章9節の「わたしには、…キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」は、聖書協会共同訳では、「私には、…キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。」と訳されています。「キリストの真実」とは、神の契約の計画に忠実に従ったこと(フィリピ2:8)であり、「義」とは、そのイエス・キリストの真実を通して、神の新しい契約の民とされることだとN.T.ライトは書いています(N.T.ライト『新しいパウロ』前川裕訳、新教出版、2025、206-210頁参照)。そこではユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、皆、キリスト・イエスにあって一つであり(ガラテヤ3:28他)、死者の中からの復活、キリストの再臨を待ち望むのです(フィリピ3:10-11,20)。これが、キリストを信じて救われているということではないでしょうか。