2025年5月3日の礼拝宣教から

「幸いな人とは誰か」   詩編94篇12-19節

津村春英牧師

 白川静『常用字解』によると、「幸」という字は象形文字から作られていて、手枷をはめられている形で、手枷だけの刑罰で済むので、幸いだということです。これは他と比較した相対的な幸いです。他と比べないで幸いはありますか。

 今日の聖書の箇所に、「いかに幸いなことでしょう。主よ、あなたに諭され、あなたの律法を教えていただく人」(94:12)とあり、幸いな人とは、神の言葉によって教えられる人であり、その人が苦難に遭うときにも、安らぎと喜びが与えられるとあります(同13,18-19)。その理由は、神はご自分の民をお見捨てにならず(同14)、正しい裁きを行われる(同15-16)からだとあり、また、「足がよろめく」ときには、主の慈しみが支え、「思い煩いが占める」ときには、主の慰めが喜びを与える(同18-19)とあります。

 イザヤ書の、「傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする」(42:3)や、主イエスの、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で、謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28,29)と響きあっています。あらためて問います。幸いな人とは誰でしょうか。