「新しい契約」 ルカ福音書22章1-23節
津村 春英牧師
今日は第51回衆議院議員選挙の投票日です。「公約」した約束が、履行されるよう期待したいものです。
「新約聖書」は、英語ではNew Testament(ラテン語のtestamentum遺言、証言の訳語)と表されますが、それは、新約聖書のギリシア語、ディアセーケー(契約)の訳語です。さらにディアセーケーは、旧約聖書ヘブライ語、ベリート(契約:創世記6:18)の訳語です。この「契約」は対等ではなく、上位の者(神)の約束を下位の者(人)が受諾するという契約(宗主権契約)なのです。
主イエスの言葉、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカ20:22)は、牛や羊の血による贖罪ではなく、主イエスの血による贖罪は、当時の弟子たちのみならず、普遍的に現代の私たちも対象なのです。私たちが徹底的にへりくだって(「自己を低く見る者にあらざれば贖罪の必要は感ぜられない」『内村鑑三全集15』岩波書店、488頁)、心を全開して十字架の上から流れ出る主イエスの愛を受け入れるなら、その愛は私たちを満たし、潤し、癒し、私たちからあふれ出て、周りの人にも流れていくはずではないでしょうか。