「罪人の頭(かしら)」 Ⅰテモテ1章12-17節
津村 春英 牧師
先週、英国のエリザベス女王が崩御され、国際社会から追悼の声が相次いでいるようです。そして、王位は継承順第一位のチャールズ3世に引き継がれました。
使徒パウロは、「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(1:15)と書きました。つまり、パウロ自身が、罪人の順位では第一位(頭:かしら)だと表明したのです。なぜなら、キリストに出会う前は、神を冒涜する者、迫害者、傲慢な者(共同訳)であったからだと言うのです。しかし、知らずに行ったので、憐れみを受け(同13)、「わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」(同16)と続けています。パウロは自分が、「こんな者でも救われる」という見本(先例)となるために、主キリスト・イエスが、限りない忍耐(寛容:時間をかけるの意)をもって見守ってくださったと書いているのです。パウロが受けた主の憐れみは、私たちにも及んでいるのです。あふれる感謝を主にささげ、私たちも伝道に励みましょう。