2020年9月20日の礼拝宣教から

『十字架からのことば』ヨハネ福音書19章25-30節

牧師 津村春英

 経済界では、コロナ禍においてニューノーマルということばが使われています。これは避けがたい大きな変化から生まれる新しい常識を意味しています。主イエスの十字架刑と復活は、弟子たちにとってニューノーマルを生み出しました。ヨハネ福音書におけるイエスの十字架上の最後の言葉は、「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」(19:30)なのです。そうです。「救いが完成した」のです。まさに、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)が成就したのです。

 30歳の若さで逝った詩人八木重吉は、「神はどこにいるのか 基督がしっている  人間はどうして救われるのか 全力をつくしても人間は救われはしない 基督をいま生きていると信ずることだ」(「基督」『八木重吉―詩と生涯と信仰』、関 茂著)と歌っています。コロナ禍といわれる時こそ、「キリストは今生きている」と信じるこが大切です。禍が過ぎ去るのを待つのではなく、禍の中で生き抜くために、このニューノーマルが必要なのです。十字架の出来事は過去のことであって過去のことではないのです。救いの計画は実行され、ここに救いは成し遂げられているのです!