「心は燃えていた」 ルカによる福音書24章28-35節
津村春英牧師
8年前の学校法人への国有地売却決算文書の改ざんを苦に自死した職員の遺族が求めた財務省公文書の開示は、計7回にわたり、14万6000ページにも及んだそうです。残念ながら、遺族にとって納得できるものではなかったということです。何が書かれてあって、何が書かれてなかったのでしょうか。
ルカによる福音書に書かれてある復活された主イエスが、エルサレムからエマオに向かう二人の弟子と共に歩まれたというエピソードは、「放蕩息子のたとえ」や「良きサマリア人のたとえ」などに負けず劣らず高い評価を受けています(例えば、N.T.Wright, F.Bovon)。弟子たちは、主イエスが復活されたという話を聞いたものの、主を見失い、悲しみと不安と戸惑いの中にあったと思われます。ところが、エマオで、「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」(24:32)とあります。下線部の原文は継続を表す用法で書かれてあり、二人の心はずっと燃え続けていたのです。
私は学生時代に内村鑑三に触発され、今日まで聖書研究に取り組んできました。大した成果はありませんが、心が燃える経験を幾度もさせていただきました。どんな時も、主イエスが共にいてくださることに感謝しています。