2025年3月29日の礼拝宣教から

「世界の希望」 ルカによる福音書23章44-56節

津村春英牧師

 ロシアのウクライナ軍事侵攻から4年、米国とイスラエルがイランを先制攻撃し、最高指導者を殺害してから1か月が経過しました。いずれの戦争も仕掛けた者たちはその軍事行動を「正しい」と、自らの正当性を主張します。

 ルカ福音書ではイエス・キリストが十字架上で、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(46)と言って息を引き取られ、それを目撃したローマの百人隊長が、「本当に、この人は正しい人だった」(47)と言って神を賛美したとあります。

 この「正しさ」(ディカイオス、正確には「義しい」)を、多くの注解者は、ピラト、ヘロデ・アンティパス、さらに犯罪人の一人のことばと同様に「無実」と解釈しています。しかし、百人隊長の神への賛美が、神の御業を目撃してなされたこと(2:20; 5:25,26; 7:16; 17:15なども)であり、主イエスが神との関係において、神の御心に従順に歩まれたことを意味していると考えます(フィリピ2:8参照)。また、「正しい人」が死ぬことによって、人々に救いの道を開くという世界の希望がここに表されているのではないでしょうか。ルカ福音書に多く出てくる「正しい人」(1:6; 2:25; (5:32); 14:14; (15:7; 18:9) 23:50など)のように、私たちも、神との関係において「正しい」と言われるように、その御心に従順に歩む者でありたい(ローマ8:28)。