「罪なきお方」 ルカによる福音書23章13-25節
津村春英牧師
東日本大震災から15年が経過しました。亡くなられた人々は、なにゆえに命を奪われなければなかったのでしょうか。命の尊さを考えるときでもあります。
ローマから遣わされていた総督ピラトは、エルサレム当局者たちの、民衆を巻き込んだ「その男を十字架につけろ」という要求に負け、彼らの意向どおりに、犯罪人のバラバを釈放し、イエスを引き渡します(24)。このやり取りで、ピラトが、「この男には、何の犯罪も、死刑に当たるようなことも見いだせない」(14,15,22)と三度、断言するところが特徴的です(なお、16節の「鞭」は原語になく、23節「声はますます強くなった」は、「声がまさった」、25節「好きなようにさせた」は、「彼らの意向どおりに(引き渡した)」が妥当な訳)。
N.T.ライトは、「イエスは、暴力的な反逆者が受けるべき死を死んでゆくことになるのです。…ローマの不当な裁判と、すべての人間のシステムを覆すところの神の不思議な裁判のもとに、人間の慈愛が届かなかったところに神の慈愛が届くのです。」と書いています(『すべての人のためのルカ福音書』pp.412-413)。「罪なきお方」が、バラバのような暴力的な反逆者が受けるべき死を見事に死にきることによって、それが自分の身代わりであると信じる人々を救うのです。この愛、あなたに届いていますか。