2024年10月6日の礼拝宣教から     

「自分の十字架を背負って」  ルカによる福音書9章18-27節

津村春英牧師

 日本語の「キリスト者」は、英語の「クリスチャン」、ギリシア語の「クリスチアノス」に遡ります。このギリシア語の語尾「イアノス」はラテン語のianusから来たもので、「~の、~に属する」を意味し、「キリスト者」は「キリストの者、キリストに属する者」になります。

 主イエス・キリストは、「与えられること」のみを期待して集まった群衆に向かって、「わたしについて来たい者は、①自分を捨て、②日々、十字架を背負って、③わたしに従いなさい」(9:23)と言われました。ここにキリスト者となるための三つの命令形が見られます。まず、自分に執着しないで、神を第一とすること。次に日々、自分の十字架を背負うことです。これは単なる比喩でなく、自分の死を意味します。その覚悟が問われているのです。最後に、主に従い続けること、ここに重点があります。 頭の中でイメージしてみてください。自分の十字架を背負って進むのですが、決して矢面に立つことはありません。いつも、主イエスの「後ろ」なのです。それでも、ある時は苦難の道と思えるかもしれませんが、パウロが言うように、その道は「復活」に続く道なのです。神の国に至るキリスト者の道なのです。自分の十字架を背負って主イエスについて行きましょう!