2024年9月15日の礼拝宣教から

「新しく生まれる」  ヨハネ福音書3章1-13節  

津村春英牧師

 今日は敬老礼拝を献げています。人間老いれば、病気もするし、苦悩します(森村誠一『老いる意味』)。ある学者によると、多くの日本人は特定の宗教よりも現代科学の信奉者で、人間の記憶や意思、感情は脳のメカニズムのよるものだと理解しているので、死によって脳が崩壊すると、人は無になってしまうことになると指摘しています。それでいいのでしょうか。

 ニコデモという人物はヨハネによる福音書のみに出てくる、ファリサイ派の教師であり最高法院の議員で、老人(3:4)でした。当時の人々の関心はやがて神の国(天の国)に入ることでした。彼は主イエスのうわさを聞いて夜、会いに来ました。人知れずきっと悩んでいることがあったに違いありません。主は彼の心を読み取り(2:25)、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない」(3:3)と言われました。下線部の原語は、もう一度、新しく、上から、の意味があり、人は、神の霊、聖霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない(同5)と明言されたのです。使徒パウロは人間を「霊と心と体」と表現しています(テサロニケ一5:23)。この霊が神の霊、聖霊と関係するのです。人は例外なく、死んで火葬されて骨と灰になってしまいますが、幸いなるかな、聖霊によって生まれたキリスト者の霊は神の国へと向かうのです。