2024年3月17日の礼拝宣教から

「恵みの御言葉」  ルカによる福音書4章14-30節

津村春英牧師

 主イエスはヨハネが捕らえられた後(cf.マルコ1:14)、ガリラヤに帰られ、諸会堂で教えて好評を博し、故郷のナザレに来て会堂に入られました。そこで預言者イザヤの巻物(ビブリオン:バイブルの語源)の、「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(4:18-19)を読み、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(同21)と話されました。人々は、イエスを賞賛し、その恵みの御言葉に驚きます。ただし、「驚く」の原語には感嘆と反対の両方の意味があります。上記の言葉に関連して、預言者エリヤが飢饉の後に遣わされた先はユダヤ人ではなく異邦人のやもめであり、また、エリシャもツァラアトを患う異邦の将軍ナアマンに遣わされたとイエスが話されると、聞いた人々は怒り心頭に発し、イエスを崖から突き落とそうとしました。つまり、彼らが聞いた言葉は彼らにとっては恵みの御言葉にならなかったのです。

 では、私たちにとってはどうですか。どんな試練の中にあっても、神の愛が注がれていることを信じるなら、それは恵みの御言葉になるのです。