2022年10月9日の礼拝宣教から

「宣教者」      使徒言行録28章23-31節

津村春英 牧師

 ノーベル賞受賞者が連日発表されています。貴重な研究や働きが評価されたのです。主イエスの福音を宣教する使徒パウロは当時の人々からどのように評価されたのでしょうか。エルサレムの同胞のユダヤ人から、いわれなき理由で暴力を受け、訴えられます。紆余曲折を経て、皇帝に上訴するためにローマに護送されます。ところがローマに着くと、待ち構えていたように、「ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。」(28:23 )とあります。二つの下線部の訳は、ユダヤ人が拠って立つ旧約聖書を用いて、「納得するように説明を続けた」のであって、説き伏せようとしたのではありません。それに対し、「ある者は話を聞いて納得したが、他の者は信じようとはしなかった。」(同24・共同訳)という評価でした(イザヤ6:9-10)。

 宣教者は命を懸け、息の続く限り、語り続けるのです。私たちの中にも宣教者が必要です。たとい自分が直接そうならなくても、宣教者のサポートはできます。宣教者が生まれるように祈ることもできるのではないでしょうか。今朝、聖霊はあなたにどのように語りかけておられるでしょうか。