2022年7月17日の礼拝宣教から

「回復と癒しの時」    エレミヤ33章1-9節

津村春英 牧師

コロナ禍の中、各地で久しぶりに夏祭りが行われているようです。多くは、もともと無病息災を祈念する行事だと言われます。他方、過日、奈良で起きた凶悪事件は犯人の、ある宗教団体への怨恨が原因だと報じられています。今、改めて、キリストの教会とは、毎週の礼拝とは何かを考えさせられます。

エレミヤは、紀元前7世紀の南ユダ王国末期に、預言者として活動しました。彼は、人々の悪行と背信の罪ゆえに、都エルサレムはおびただしい死体で溢れ、崩壊し、人々はバビロンに捕囚されるが、やがて回復の時が訪れる、と預言しました。「しかし、私はこの都に回復と癒やしをもたらし、彼らを癒やして、確かな平和を豊かに示す。」(エレミヤ33章6節・聖書協会共同訳)とありますが、原語では、「回復」は「傷の癒し」を意味し、「癒し」は「破れの繕い、国家に対する赦し」などを意味します。このように、時を経て、都とその人々は神に癒され、真実の平和が実現するとエレミヤは預言したのです。

キリストの教会は、主イエス・キリストの十字架によって贖われています。キリストによって、罪からきよめられ、罪を赦されるのです。礼拝の中で、私たちの傷が癒され、破れが繕われることを実感するのです。上記のみことばの「都」を「教会」に置き換えてみましょう…。心から感謝します。