「信仰によって」 ヘブライ人への手紙11章17-22節
津村春英 牧師
アブラハムは独り子イサクを献げるように、神に命じられ、行動に移しました(創世記22章1-13節参照)。その理由を、ヘブライ書の著者は、「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。…アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。」(11:18-19)と表現しています。これは軽々しい言葉ではありません。下線部の原語のギリシア語「ロギゾマイ」は「ロゴス」が語源で、「信じた」というより、「よく考えた」の意味で、熟考の末、考えに考え抜いた結果、受け入れたということです。なぜなら、イサクは、長年の念願の息子であり、そこから子孫が生じるという約束を受けていた子だったからです。それはアブラハムにとって、極めて厳しい試練の時でしたが、最善をなさる神に全幅の信頼をおいて、前進したのです。勿論、神は、アブラハムが息子を屠ろうとしたその瞬間に助けてくださいました。
ヤコブ書では、「自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょう。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか」(2:14)と告げています。アブラハムの信仰に倣い、今、一歩前進することができるよう、共に祈りましょう。