2022年1月9日の礼拝宣教から

「誘惑に陥らないように祈りなさい」  ルカ福音書22章39-46節

津村春英 牧師

オリーブ山での主イエスの最後の祈りのシーンで、ルカ福音書は、マルコ、マタイ福音書とは異なり、「誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」と弟子たちに二度言われたことを記しています(22:40, 46)。「誘惑」と訳されているギリシア語ペイラスモスは、聖書の中では「誘惑」または「試練」と訳されます。つまりここは、「試練に屈しないよう」と読むことも可能です。それは、先の主イエスのシモン・ペトロへのことば、「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った」(同31)からも理解できます。また、主イエスが弟子たちと少し離れて祈っておられたときに弟子たちは眠り込んでいたとありますが、その理由を、ルカ福音書では、他の福音書の「肉体の弱さ」ではなく、「悲しみの果てに」(同45)と書かれています。どうして主の苦しみを共有できたかのように表現されているのでしょうか。それは、「石を投げて届くほどの所に離れ」(同41)という表現から、主イエスの祈りが聞こえたか、またはその祈りの切実さ深刻さを察知できたからでしょうか。

コロナ禍で行動が制限され、それぞれが抱える問題の厳しい現実の中で、「あなたの信仰がなくならないように祈った」との主のみことばに感謝するとともに、誘惑に陥らぬよう祈らねばなりません。