「覆いは取り除かれる」コリント信徒への手紙二3章12-18節
安 喆寓信徒伝道師
コリントに伝道活動をしていたパウロにとって、旧約聖書に親しんできたユダヤ人との距離を縮める糸口は見つかりにくい状況であったと思われます。したがって、パウロは、出エジプト記34章29-35節を引用して、再び十戒を石に書き記してシナイ山を降りていたモーセのことを語ります。「モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません」(3:13)。ユダヤ人たちが読んでいた旧約聖書を古い契約として、エレミヤ書31章31節に書いている新しい契約のことと対比します。そして、モーセの顔に掛けられた覆いは、この新しい契約、すなわちキリストにおいて取り除かれると語りかけます。「しかし、彼らの考えは鈍くなってしまいました。今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。それはキリストにおいて取り除かれるものだからです」(同14)。パウロはそのような状況を諦めず、主の方に向きを変えていくように示されます。「しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます」(同16)。自分自身が主の方に方向転換をして今まで被っていた覆いを取り除かれ、罪と死から救いを得ることです。
もう一つは、神様から与えられた御霊なる主の働きによって、主ご自身に従っていく生活を歩むことです。わたしたちは、常に神様の御言葉を聞き、その栄光を見るとき、また、キリストを見るとき、変えられます。パウロはこのように祈っています。「心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように」(エフェソ1:18)。それぞれの信仰の道を今週も続けて歩みましょう。