『砕かれた霊』 詩編51篇12-19節
牧師 津村春英
「あなたはいけにえを好まれません。/焼き尽くすいけにえを献げても/あなたは喜ばれません。神の求めるいけにえは砕かれた霊。/神よ、砕かれ悔いる心をあなたは侮りません。」(協会共同訳・詩編51:18,19)
内村鑑三はこの箇所について次のように書いています。「事業とはわれらが神にささぐる感謝の献げ物なり。されど神は事業にまさる献げ物をわれらより要求したもうなり。これすなわち砕けたる心、小児のごとき心、ありのままの心なり。」(内村鑑三『一日一生』角川文庫、p.15)。これは解釈の一つですが、勿論、幼児の、感情をそのままぶっつけるという本性ではなく、偽りのないピュアな心を言っているのでしょう。
では、なぜ、砕かれた霊、砕かれた心が神に受け入れられるのでしょうか。それは、砕かれた心には、みことばがしみこむからです。今は梅雨の季節です。降った雨は地面にしみこみます。ただし、アスファルトやコンクリートのようなところでは殆どしみこみません。他方、土や砂には、粒子の隙間があるので、よくしみこみます。それと同じように、私たちの心が砕かれない限り、神様のみことばは心の中にはしみこみません。心砕かれて、神のみことばが、神の愛が、キリストの恵みが、心にしみこむように祈りましょう。