『教会はキリストの体』 エフェソ1章15-23節
牧師 津村春英
1903年大阪天王寺界隈で開かれた第5回内国勧業博覧会を伝道の絶好の機会ととらえて集結した伝道者の一人河邉貞吉師により私たちの教会は始められました。次の1970年大阪万博では、日本基督教団内に起こった反万博闘争が全国に飛び火した辛い時代でした。来る2025年大阪・関西万博ではキリスト教会はどう関わりますか。その前にコロナ禍で消失してはなりませんが。
エフェソ1:15-23は新共同訳の小見出しでは「パウロの祈り」となっています。それは、①聖霊の導きによって「神を深く知ること」ができるように(同17)、②神に召されている者の希望が、受け継ぐべきものがいかに素晴らしいか(同18)、③信仰者に働く神の力がいかに絶大か(同19)、を悟ることができるようにとあります。神はその力によってキリストを死者の中から復活させ、全ての名にまさる名をお与えになり、教会の頭とされました。つまり、「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(同23)とあります。体(からだ)のギリシア語ソーマは「見える形」(テサロニケ一5:23)の意で、見える私たちキリストの体は質的に成長しなければなりません(エフェソ4:12)。成熟を目指し、主から与えられているつとめに今日も励みましょう。