「私を求めよ、そして生きよ」 アモス書5章1-6節
安 喆寓信徒伝道師
アモスが活動した時期は、北イスラエル王ヤロブアムの時代で、アッシリアからの威勢が弱く、むしろ北イスラエル王国は、力を強くし安泰な生活ができました。人々はまさか自分の国が滅ぶとは考えられず、盛大な祭儀の中で献げ物をすれば、神様が自分たちを守られると形骸化した礼拝を続けていました。
それに対して神様の厳しいメッセージがアモスに託されます。「おとめイスラエルは倒れて 再び起き上がらず 地に捨てられて 助け起こす者はいない。」(5:2)と。しかし、生きるための方法を神様が示されます。「まことに、主はイスラエル家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」(5:4)と。自分たちの行為で満足を得られることではなく、神様は、悔い改めて神様の方に方向を向けて、共に歩むことを望んでおられるのです。ベテル、ギルガル、ベエル・シェバでの礼拝は、心から主を礼拝するのではなく、自分の好みで礼拝をしただけでした。生きるとは、人間の意志、願望ではなく、神様との交わりを通して神様を求めることのほかはありません。アモスが単に祭儀を否定したわけではありません。神様の恵みの中で生きようとしない姿勢から神様のもとに戻り、真心をもってささげる礼拝が望まれるのです。「主を求めよ、そして生きよ」(5:6a)。そのように、今日、私たちにも神様が語っておられます。