「祝福の言葉」 申命記33章1-12節
津村春英 牧師
自らの人生の終わりを知り、ことばを残せる人は幸いだと思います。「神の人モーセが生涯を終えるに先立って」(申命記33:1・直訳:自らの死を目前にして)、イスラエルの民に対して、祝福のことばを与えました。まず、ヤコブ(イスラエル)の長子ルベン族から始め、ユダ、レビ、ベニヤミンへと続きます。「ベニヤミンについて彼は言った。/「主に愛される者はその傍らに安らかに住まう。/主は日夜盾で彼を守り/彼は主の肩の間に住む」(33:12・聖書協会共同訳)。「主の肩の間」とは、シオンとその北のモリヤの山との間と解され、彼らは、神の都の最も近いところに住み、「主に愛される者」と呼ばれるという、何と素晴らしいことでしょうか。
主イエスも、弟子たちとお別れになる際、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われました(マタイ28:20)。使徒パウロも「愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」(コリント二13:11)とことばを送りました。これらは私たちへのメッセージでもあります。どんな時も、主が共にいてくださることが何よりの祝福です。「この希望が失望に終わることはありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5・聖書協会共同訳)。心から感謝しましょう。